死にたさと呆れ

メンヘラアスペ大学院生がゴミを書き捨てるところ

寂しさ

独りで生きるのが辛くなってしまった。

原因はなんだろう。5年も付き合っていた恋人と別れたからか。独りで鬱を経験したからか。

男のメンヘラに需要はない。いや、女性でも本当は需要はないのかもしれない。ただ弱っている若い女性に見境なく言い寄るおっさんがいるだけで。

二十歳を過ぎれば、皆自分のことで忙しい。優しさとか、面倒見とか、そういうパラメータは就活やら仕事に上書きされていく。そんなときに鬱になったらどうなるか。自然とみんな離れていく。自分の面倒も見られないような人間を気にかけるような余裕のある人はそうそういない。

頼りたかった人はみんな遠くに行ってしまった。東京に就職した人もいる。返信が返ってこなくなった人もいる。忙しさに会う頻度が減っていく。それはそうだ。面倒だろう。

カウンセリングを受けても、研究室に戻っても、寂しさは一向に埋まらない。僕の話を聞いてほしい。僕の痛みを知ってほしい。でも、自分で一線を引いてしまう。相手はカウンセラーだから。相手は別に仲良くもないし自分に興味もない人だから。相手は精神障害に偏見を持っているかもしれないから。相手を傷つけるかもしれないから。自分を傷つけるかもしれないから。

人格は多面多層だ。それぞれの人に向ける面。それぞれの人にさらけ出せる深さ。もはや僕はタマネギの皮の剥き方を忘れてしまったのかもしれない。

僕はあまり何か一つのイベントで変わるような人間ではないと思っていた。インプットが多いものだから、その積み重ねで骨格ができていると。余程大きな出来事があったとしても、過去の経験の一つとして消化できると。

アスペルガーと鬱は、そういう意味で僕を大きく変えてしまった。見た目も中身も。派手髪を伸ばして、ピアスいっぱい空けて、たまにはネイルして、かわいい服選んで。どれだけ外見が変わっても、それに中身が影響されるわけではない。僕の精神は鬱で様変わりした。自分に怯えて、自分を信じられなくて、自分が嫌いで、死んでほしい。そんな自分を誰かに助けられたいという薄い願望。

バンドマンみたいとか、変わったねとか、どうしたのかとか、言わなくていい。ただかわいいと肯定さえしてくれればいい。帰省したとき、祖父に別嬪だと言われた。女の子にしても別嬪さんだと。泣きそうになるほど嬉しかった。本当に、言ってほしかったことを、そのまま言ってくれる人が、僕の祖父で幸せ者だと思った。祖父が膵臓がんで長くないと聞いて、また沈んだ。どうしても、離れていく。束の間の幸せは、悲しみに上書きされる。

すぐ人を好きになる。自分が男だという自覚があまりない。昔から女の子の友達の方が多かった。女の子が好きで、男が苦手で、特に男が多いコミュニティが苦手だった。工学部に入ったのは何たる皮肉か。当時は友達を作ろうとも思っていなかったから別に良かった。恋愛感情が友達の延長線上にある。自分が男である自覚がないから、本当に友達として、女の子として、同性として異性として、好きになっていく。当然、相手から異性/恋愛対象と見なされることはない。鬱になってから、ハートブレイクの連続である。

結局恋愛感情なんてないのかもしれない。話を聞いてくれる相手が欲しいというただそれだけ。僕にとってその延長線上に恋愛があると誤解しているだけ。話をして、触れ合う相手が欲しいだけ。こういうのを世間様ではメンヘラビッチという。やはり、男のメンヘラには需要はない。

ただ毎日が寂しい。他人の温かさに触れたい。悲しみを紛らわせてくれる誰かが欲しい。そんな一方的な要求を満たしてくれる人なんていないと理解している。叶わぬ望みだと。身勝手な願いだと。けれども、それ以上今の僕には何もできない。