死にたさと呆れ

メンヘラアスペ大学院生がゴミを書き捨てるところ

昔の話4

鬱になった経緯。院試が終わったところから。

 

僕の学部では内部生は面接が終わった時点で合否を知ることができた。第一希望の専攻に合格はしたものの、院試免除が凸ってきた関係で大学院では別の研究室に行くことになった。そもそも大体どんな分野でもやっていく気はあったので興味はなかった。寧ろ、この状態でまた周りの人間が変わるのが少し憂鬱だった。

院試が終わるのが8月末。9月末には外部での研究発表があった。大した結果でなくてもとりあえず見せられるものを作って持っていかなければならない。研究室の陽気な雰囲気に嫌気がさしていた僕は、結局自宅で気が向いた時に研究を進める生活に落ち着いた(シミュレーション系だったので家でやれたのである)。精神は相変わらず不安定だったが、薬のおかげもあって、崩壊していた生活リズムを戻すことができた。研究は順調には進められなかった。いかんせんかけられる時間が少なすぎた。1日のうちに何かできる時間は4時間から6時間ぐらいが限界だった。朝から落ち込む日は最悪だった。食欲もなく、芋虫のようにベッドに横になるしかなくて、夜は夜で不安と悲しさがいくらでも湧き上がってきて死にたくなる。孤独だった。

このままではやっていけないのは自覚していたので、抗鬱を出してもらうことになった。最初のドクターは少し苦手でわざといない日に顔を出した。まだ話しやすいドクターが担当になり、抗鬱の説明をしてくれた。薬だけで劇的に良くなるわけではないと理解していたが、直接医師に言われるとなんともやるせなさを感じる。結局ストレスの原因を取り除かなくては改善の見込みは薄い。だが、その原因は孤独と自己肯定感のなさにあった。そのどちらもが治りはしないアスペルガーから出発しているとすれば、良くなる見込みはそれほどないと理解した。

抗鬱の飲み始めはしんどかった。確か最初に飲んだのはレメロンで、吐気と眠気が一日中続いた。進捗はさらに出なくなった。楽になるために飲んでいるはずの薬に苦しめられるのはお笑いだが、我慢して飲んでいくしか選択肢はない。少し元気でパソコンに向かう時間以外はひたすらベッドで耐える時間だった。そういう時、無駄に色々なことを考えてしまう。自分のこと。アスペルガーのこと。人間として欠陥があって、楽に生きていくことができない。友人を作れず、恋人を失って、孤独なままいつまで耐えなければいけない? 毎晩のように、この苦しみから解放される手段として、一つの救いであり慈悲として、死にたいという気持ちと付き合っていかなければいけなかった。このころ、よく使われる比喩だが、出口の見えないトンネルにいるという感覚を覚えるようになった。孤独で、そこにいるだけで辛いトンネルである。

研究は思うように進まない。発表スライドなんて手をつける余裕はなかった。二日前に作り始めて、前日は前乗り移動日で。苦手な人間と観光して、夜は飲み会になってしまった。さっさとホテルに戻ってスライド作らないといけなかった。当然酒を飲むつもりはなかった。が、陽気な人間と飲み会をするということがどういう意味かわかっていなかった。

特に安くも旨そうでもない居酒屋に入る。人数が多くない研究Grなので一つのテーブルを囲むことになる。特に上の人間は陽気で苦手なタイプだった。そいつらが喋る。聞き流せばよい。が、とあるM1が自信満々に話し始めたことを何故か聞き流せなかった。

その夏のインターンの話だった。男の多い分野なので、インターンに来た女の子は注目されるし、あわよくばセックスまで持ち込みたいという男がごまんといる。御多分に洩れず、かわいい女の子が一人ぐらいはいたらしい。飲み会でその子の隣の席をゲットしたらしいそいつがTwitterのアカウントを盗み見て男たちで共有したそうだ。なんとも間の悪いことに、所謂裏垢女子のアカウントを発見したようで、インターン最終日の打ち上げで顔と学歴が一番良さそうな奴をぶつけてラブホに連れて行かせようとしたのだそうだ。結局邪魔が入ってお持ち帰りには至らなかったそうだが、実に楽しそうに話してくれた。

笑えなかった。何を面白いと思って話しているのか……何が面白いと思って笑っているのか、まるでわからず。にしても、聞き流せばよかった。そうできなかったのは多分自分の精神が弱っている時だったからで、随分とその女の子に感情移入してしまった。その話を聞いただけで何かわかった気になるのは至極失礼な話だけど、裏垢でセックスの相手を探すようになったきっかけはなんだったんだろうと。寂しくて誰かと会っていないと辛いんだろうか。身体だけの関係でないとしんどいんだろうか。もしかするとだいぶ精神を病んでるのだろうか。そんなことを考えさせられて、落ち込んで、その考えから逃げるために生中を飲み下した。なんで飲み会の場でまでこんな飲み方をしなければいけないのか、悲しくはなったが唯一の逃避の手段だった。その場は1時間ほど続いてようやく解放された。別に奢られるわけでもなかった。人生で最悪の飲み会だった。

本当の戦いはここからだった。酒にはあまり強くないので、寝てしまわないようにコーヒーをがぶ飲みしてホテルに戻ってスライドの続きを作らなければいけなかった。時間は既に21時を回っていただろうか。出発は8時とかだったから、12時間もない時間で、20分の発表スライドの半分と前刷りを作らなければいけなかった。素面ならできる気がしていたが、酒が入った上に気分は最悪だった。進捗は出なかった。頭の中ではあの裏垢女子がぐるぐるしていた。ホテルに粘るのを諦めて外の空気を吸いにいった。コンビニに行って煙草とコーヒーを買って。その頃吸っていたのはセブンスターだった。気持ちが落ち着くまでエハラミオリの「イド」を聴きながら延々とコンビニの前にセブンスターを吸い続けた。半箱ほど立て続けに吸って、ようやく頭がクリアになって。ホテルに戻ってパソコンと格闘して、結局8時前に前刷りまで作り終えて。コンビニで10部刷ってまたコーヒーを飲んで、眠くなるからと飲まなかった抗鬱をやっと飲んで、救ってくれたセブンスターをまた吸った。午前で発表は終わった。その後は飯と施設見学があったらしい。それ以上人間と会いたくなかったので体調不良と嘘を吐いて電車で帰る。3時間で帰れた。最悪の気分で家に帰るまでの3時間は長かった。煙草も吸えないのだ。眠りに落ちるのは摂りすぎたカフェインが許してくれなかった。自分が本当に楽にやっていけない身体になったのを自覚して絶望する。家に帰って眠る。数日経てばまた研究の続きである。卒論を書くまでには実験もある。もはや何のために何をやっているのか、何もわからなかった。ただ死なないことに必死で、自分がどうしようもないことを悟られないことに必死で。不安と絶望に押し潰されそうになるのを薄い布団をかぶって耐えていた。出口の見えないトンネルで蹲っているような日々だった。

案の定、この発表を境に研究は進まなくなった。昼過ぎに起き出しては煙草を吸って飯を食ってまた寝るだけの日々。生きていく理由は日に日にわからなくなっていった。

 

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