死にたさと呆れ

メンヘラアスペ大学院生がゴミを書き捨てるところ

昔の話7

鬱の話。現在に至るまでいけるはず。

 

今年の4月から、大学に行くようになった。とはいえ授業は全部オンラインだったので研究室に行くばかり。昼過ぎに行って、18時には絶対に帰る。粘りがちな性格が災いすることがわかっていたので負荷が増えないように自分の中でルールを決めた。おかげで研究の進捗はぼちぼち、授業もめんどくさそうなやつ以外はわりとちゃんと追っていた。

一ヶ月半ほど過ぎた5月半ば、思わぬ障害が現れた。もう完全に手を離したと思っていた部活が人手不足で大変なことになっていた。手伝うべきか、自分の体調を優先するべきか。介入すれば昼も夜もなく締切まで2週間きっちり働かされることはわかっていた。授業はともかく研究をやる暇はない。さらに悪いことに、その状況をなんとかできるのが経験量からいって僕を含めて2人しかいなかった。それも、2人でフル稼働すればなんとかなるかもしれない、ぐらいの作業量。結局、やる以外の選択肢はなかったわけだ。

現役時代には慣れていた負荷も、鬱というハンデを負った状態では厳しかった。1日24時間のうち作業しない時間は5-6時間に抑える睡眠時間と風呂ぐらい。ひたすらパソコンと向き合う作業で、溢れそうなタスクに優先順位をつけて延々と処理する。眠剤は昼間に眠気が出るので使えなかったから、結局取り戻しかけていた昼夜のリズムは崩れていく。どちらにせよ、他の部員が昼間にやったもののチェックを深夜にやらなければいけなかったから日が上っている間に寝ることが多くなる。生活リズムの乱れは精神に直撃する。後でどんなしっぺ返しが来るかは考えないことにして、目の前の作業を終わらせなければいけなかった。1日が曖昧になるので抗鬱を飲むタイミングを逃しがちになり、離脱症状でだるい体と躁気味のメンタルで締切までなんとかやるしかなかった。最後は二徹でなんとか形になってフィニッシュ。普段のやり切った達成感も解放感もなく、最悪の体調と精神をなんとかする戦いが始まるというだけの終わりになった。

全てが狂った。生活リズムは乱れ、抗鬱を切らしたりしたせいで体調もメンタルもボロボロだった。研究室にも行けなくなり、授業も放置しがちになった。何より、だんだん楽しめるようになったゲームもまたできなくなってしまった。1年かけて回復させた全てが2週間で逆戻りした。もう何も考えたくなくなった。結局、義務感で自分がダメになることがわかっていながら手を入れたのだから、自分の責任以外の何でもなかった。こういう時、自分のために何かしてくれた人たち、ドクターに、両親に、話を聞いてくれた友人に、申し訳なくて自分が生きている理由を見失う。鬱から回復するための努力を、何もしていないということなのだから、そんな状態で他人には助けてもらおうとは、虫が良すぎるのである。金を食って未来もなくただ生きているだけの存在である間、死にたいというより、生きたいと思う理由がない。

学校のカウンセリングに行くようになった。以前クリニックでカウンセリングを受けたこともあるが、30分で3000円とかとられるので現状説明だけで諭吉は課金する必要があった。そんな金はないので諦めていたのだが、大学ではタダでカウンセリングをしてくれると鬱になってから2年も知らなかったのである。とはいえ、あまり期待はしていなかった。自分の問題はわかっているし、どうするべきなのかもわかっていて、わかっているけどできないから苦しんでいるのだ。自分の話をしたら、同じように苦しませるだけで、流石に少し後ろめたかったのである。それを差し引いても、人と話すことに飢えていたのだった。

カウンセリングは良い意味でも悪い意味でも大体予想の範囲内だった。やはり自分の病状について喋るのは大事だし、別に何の解決にもならないことも予想通りだった。週一で10回ぐらいカウンセリングしてもらった時、話を聞いてるとしんどくなってくる、という話をされてそこまで予想通りになってしまったかと悲しくなった。

8月ごろだったか、部活のチームリーダーをやっている後輩に、鬱になったと相談を受けた。

彼にはある程度配慮をしてもらいたかったので一年くらい前に僕が鬱なことを言っていたのだが、どうもそれのお陰で言いやすかったのか。何はともあれ、チーム内でそれを知ったのは僕だけだった。正直、他の人に言って欲しかった。が、それがいかに大変かは身をもって知っているし、彼にとって必要な支援がどのようなものかも理解していた。そして、それを彼に負担をかけずにやっていけるのが自分しかいないことも理解していた。結局、僕の良心の問題で……。

僕は自分が正しいと思うことに拘る癖がある。これは決して良いことではなくて、譲れないところで対立すると泥沼化するし、多少の理不尽には目を瞑らないとやっていけないのは理解しているんだけど、それでも間違っていると思うことにどうしても従えない。それでバイトも人間関係もうまくいかなくなってしまう。

ただ、今回は彼をこれ以上悪くしてはいけないという確信めいたものを持って……決して間違いではないと思う、が、酷い鬱、多分彼よりも悪い状態の自分がやるべきことではないというのも理解していた。それでも、彼を放置するという選択はできなかった。

彼を部活から遠ざけるのが先決だった。しかし、彼は任期の途中でリーダーを交代するという形をとりたくない、と言った。確かにそう思うのも無理はなく、何を言われるか気が気ではないだろう。となれば、彼の仕事は信頼できる上級生に事情を説明した上でやってもらって、それを把握する、本来のリーダーの役割は僕がやるしかなかった。週一で最低限の報告をあげて下級生にとっては彼がリーダーであるように見えるようにする。かつ、彼はできるだけ部活から離れる必要があった。彼は半年近くまともにリーダー業をできてなかったわけで、放置されていた渉外案件と傾いたチーム体制を立て直すのに奔走することになった。昼は作業場の監督と手伝い、顧問の先生と話し合い、夜はチーム体制変更の資料作り、鬱病患者にはまあまあしんどい仕事量だった。また鬱がぶり返す予感を覚えながら、ひたすらタスクをこなしていった。

9月。チームの代替わりの月、次期幹部メンバー決定でおおむね仕事は終わった。そこまで大変だったかというと大した負荷ではなかったのだが、いかんせん鬱が悪くなった時に喰らったのは大きかった。リーダー業をあらかた引き継いだ後、とてつもない無気力感に襲われて植物の如く家から出なくなった。一時期回復していた食事の量も減り、ゲームもできず、煙草の煙だけを肺に入れる毎日。久しぶりに、通院できなくなった。薬を切らして、離脱症状でさらに苦しむ。吐気。不眠。頭はぼうっとして、ぼんやりと死にたい気持ちだけが浮かんではそれもぼやけていく。最悪の体調は一週間ほどで落ち着いた。

思ってみれば、抗鬱は同じものを一年以上飲んでいて、久しぶりの生身の感覚だった。眠気はない。精神も、穴にはまったように落ち込んで抜け出せなくなることがあるものの、別に飲んでいた時より悪くもなっていない。何より、悪夢を見なくなった。倦怠感はあるものの、眠ることが嫌ではなくなったのは大きい。寝つきの悪さと朝早く起きすぎること以外は、薬を飲んでいた時よりはっきり悪くなったと言えることはあまりなかった。正直、今まで安くない金を払ってどうしても必要ではない薬を飲んで、怠く落ち込んでいたということが、虚しく思えた。薬がどれだけ効いているのか疑問に思った時もあったし、勝手に断薬したのも初めてではなかったけど、その時の最悪な経験から良くなるまではちゃんと続けようと思って……。薬を減らすのは患者にとっても医師にとっても難しい判断だろうし、怖い。辛い。しかも、薬が抜けて離脱も終わったのに、また飲み始めのしんどさを感じる気力もない。それから、クリニックには行かなくなった。こう云うことを言うと、自己判断で勝手な行為だと、最善の行動ではないと思うだろうし、自分でもそれはわかっているわけで。しかしこの閉塞感を、遅れていく不安を、止まっている辛さを、わかってくれる人もいないのである。自分の責任で、自分の面倒を見ないといけないわけで。他人にとやかく言われる筋合いは、ないと思った。

薬を飲まなくなって、放置して良くなる見込みは無くなった。逆にいえば、これ以上休む必要も無くなったわけで、迷っていた後期の休学はしないことにした。研究室に行って。単位をとって。就活して。来年には卒業する。これから鬱がどう言う経過を辿るかはわからないけど、とりあえず自分のバイタリティを信じてやる。久しぶりに研究室に顔を出して、研究の続きをやった。明日からは後期の授業が始まる。できるかはわからないけど、やっていく。もう、その道しかなくなってしまった。

 

そして現在に至った。昔の話は備忘のためで、他人に見せられるような文章では書いていないので、このまま流れていくに任せよう。もっと短く、まだ人が読んで身になる話を書いていく。昔の記憶は、ここに書き捨てて、忘れられたらいいな。