死にたさと呆れ

メンヘラアスペ大学院生がゴミを書き捨てるところ

昔の話2

鬱になった経緯のはずが、本題入るのまで長そうかも。恋人と別れた話。

 

大学生になった。一応彼女は別の居があったが、すぐになし崩し的に同棲した。ベッドはセミダブルにしていた。ほとんど毎日、彼女と一緒に寝て、起きて、授業が済んだら家で二人で過ごすか、相変わらずカラオケに行った。その生活は半年くらい、一緒に入った部活が忙しくなるまで続いた。

その部活についてあまり詳しくは書かないけど、とにかく糞忙しい部活だった。授業もそこそこに部活をやるのは高校生の頃から変わらなかったけど、彼女がいる僕の家に帰る時間はだんだん遅くなっていった。

ところで、僕の部屋は汚い。こまめに片付ける習慣がなく机でも床でも空いている平面になんでもモノを置いていってしまうので気が付くと足の踏み場がなくなっているのである。彼女もそうなので二倍速で部屋は散らかっていく一方であった。よく平気で生活できるなと思っていたが、彼女の生活範囲はベッドの上だけだったので別に困ることもなかったのかもしれない。

大学生になってから、彼女は多少変わった。そりゃあ環境が変われば人間も変わるんだけど、彼女と僕の関係に多少影響のある変化だった。僕は彼女を好きだと言ったとき、彼女が受け入れてくれた理由があまりよくわかっていなかった。僕は人間として魅力のある方ではない。顔がいいわけでもなく、運動が得意なわけでもなく、おしゃれな趣味もなく、友達は死ぬほど少ない。特技といえば勉強しなくてもテストの点はとれるぐらいである。あとお人好しなところだろうか。彼女はその理由を教えてくれた。つまり、当時の高校で、まともに話が通じる程度の脳みその出来だったのが僕ぐらいだったという話だそうだ。地方の進学校を自称しているけど旧帝行くのは10人にも満たない程度で、東大京大に行けるような環境ではなかったので、まあ当然と言えば当然だった。そうして入った某旧帝大には少なくとも高校よりは頭のいい人間がいた。僕はここまで名前の知られている大学でも頭で考える能力のない人ばかりなのに絶望しかけていたが、彼女としては頭のいい人間と接することが増えて別に僕が特別ではなくなったようである。まあ頭の出来はきっかけに過ぎず、それから過ごした時間でお互いよく理解して、お互い好きになっているから、別に問題ではないねという話だった。僕も全くその通りだと思ったが、彼女のその話は建前が多分に含まれていたようである。

高校の時の僕らは、一言で言えば「陰」だった。オタクのコミュニティに身を潜めて、陽の光をなるたけ浴びないように、仲の良い狭い狭いコミュニティで楽しむだけ。最高に楽しくて、幸せだった。

大学に入ってから、彼女は陽気になった気がする。根っから陰気な僕と違って、彼女には陽への憧れみたいなものがあったと思う。けれど、高校までの陽気な人たちと馬が合わなかったからなし崩し的にオタクたちのコミュニティで過ごしていたんだろう。というか、陽気で元気な人たちをずっと見下しているようだった。僕はどちらかというと陽気な人が怖くて嫌いだから結果としては似たような人間に見えていたはずだけど、大学に入ってから1年も経てばはっきりと違いが見えた。

彼女は誰か他の人と遊びに行くことが増えた。居酒屋でバイトして、バイト先の学生や社員とも仲良くしているようだった。僕は相変わらず小さい小さい陰気なコミュニティを探していた。部活とは別にサークルに入って、仲良くなったのはほとんど女の子だった。あまり遊ぶのは躊躇われた。彼女はそういうのを嫌がるタイプだった。男友達はほとんど作らなくて、結局僕が遊ぶのは彼女とだけだった。ずっと変わらず、愛を与えていた。孤独がするりと背中に伝うような感覚に、時々襲われた。

彼女は僕と遊ぶときは昔のままだった。旅行に行って、カラオケに行って。僕は部活にほとんどの時間をかけて、そうでないときはずっと彼女と一緒にいる。彼女は1年半くらいで部活を辞めてちゃんとバイトしてたから遊びに行く回数も多かった。僕はバイトの頻度を増やせなくて、貧乏なりに彼女と遊んでいたけど。彼女は色んな人と飲みに行って、旅行に行って、それこそ学校の女友達と。部活の男の先輩たちと。バイト先のおじさんたちと。

このままでいいのかと、ずっと考えていた。部活は辞めると多大な迷惑をかけるくらいに働きすぎていた。週2の家庭教師のバイトさえ、時間が惜しくて行き帰りの時間は不安でたまらなくなった。夜は遅くなって、時には部室で泊まって、家に帰っても大抵彼女は先に寝ていた。彼女は昼間に不意に連絡してきて、ご飯に誘ってくれたり、遊びに誘ってくれたり。どうしても外せない時以外付き合っていたつもりだけど、部活の仕事量は減らなくて、追い詰められて、連絡をすぐに返さない時も多くなった。電話と通知が鳴り止まなくても取らない時が多くなった。そのストレスについて、誰も相談する相手がいなかった。彼女にはずっと部活を辞めてほしいと言われていたが、打ち込んでいたことを失う虚しさと迷惑をかける人に対する申し訳なさと。そして仲の良い友達までではないにしても人と会って無駄話をできるコミュニティを捨てることはできなかった。彼女は他に友達を作るよう言ってきたけど、どうしても僕にはできなかった。

大学に入ってから彼女を明確に怒らせた記憶が一度ある。確か家の近くの定食屋で、サークルの女友達二人と飯を食っていた。確か、ミーティングついでに飯を食おうという話で、割と真面目な話をしていた。サークルの友達はみんないい子たちで、仕事と孤独に追い詰められつつある自分のいい話し相手になってくれていた。この頃の精神はそのおかげで保っていたと言い切ってもいい。自分の中でとても大切な時間で、途中で彼女から着信があった時、この電話に出たらこの時間を切り上げないといけないと察した。多分、家に帰ってきてほしいとか、どこかに遊びにいくか、夕飯を一緒に食べるか。夕飯はもう食べているので、別に出なくても結果は変わらない。この時間を切り上げたくない。そうぼんやりと思って通話に出なかった。しばらくしてふと窓の外を見ると、彼女がこっちを見ていた。完全に怒っていた。やってしまったと諦めつつ、お金を置いて先に出た。お怒りを宥めるのに半日かかった。結局、残ったのは自己嫌悪だった。

明らかに僕はキャパオーバーだった。部活でできた後輩は、仕事量の多さに1年もたたず辞めていった。後輩ができたら仕事量が減るから我慢してくれという彼女へのお願いは、2年続けて後輩がいなくなるという形で延期され続けた。先輩はとうにいなくて、一人で一つの部門を維持するのは、時間と気力を消費する作業だった。もはや何が正しいかよくわからなかった。彼女の気持ちが離れていくのも無理はないと思っていた。それでも、愛していると伝えたら応えてくれた。僕が彼女を愛する気持ちは変わっていなかった。けれど、彼女の求める愛を与える余裕はもはやなかった。

僕と彼女の恋愛観が大きくずれていることは随分前からわかっていた。一言でいえば、精神的な愛か、物理的な愛か。僕は愛を持っていれば、そして持っていてくれれば、それだけで満たされた。離れていても、会えなくても、相手と繋がっていると、相手も自分のことを考えているとさえわかっていれば、どれだけ忙しくても心の支えになっていた。一方、彼女が求めるのはカタチとしての愛だった。プレゼントやお金ほど即物的な意味ではなく、ハグであり、キスであり、セックスであり、愛してるという言葉であり、一緒にいる時間だった。僕の恋愛は彼女が求めるものを与える愛だったから、僕が忙しくない限りはこの関係を続けられた。それでもずっと非対称なことに変わりはなく、実際にこの関係は僕の時間が削られるにつれて歪んでいった。彼女が僕のことをまだ好きなのかどうか、わからなくなっていた。そんな状態のままするキスは、囁く愛は、セックスは、空っぽでただ彼女を満たすためだけのものになってしまっていた。それでも僕の目的は彼女を幸せにすることだったから、その関係は続いていた。

3年の秋、ないお金と時間を振り絞って行った旅行の帰り、別れを切り出された。僕は受け入れるしかなかった。僕が構わなかったから、自業自得であって。僕は彼女に幸せであってほしいというのが本心だったから。彼女の希望を受け入れる以外の選択肢はない。悲しくて、寂しくて、しかしどこか安心する自分がいた。これ以上彼女の負担になることはない。彼女はもう自由だから。そして、彼女は僕のことを好きじゃないんじゃないかという疑問に答えが出たから。ふと気になって別れ際にひとつだけ尋ねた。他に好きな人ができたかと。そうじゃない、という答えにどこか違和感があった。別れる理由は僕のためだと言っていた。僕が彼女に向ける愛に、彼女が応えられないからと。別に僕は応えてくれなくてもよかった。僕は彼女に好かれたいわけじゃなくて彼女に幸せになってほしいだけだったから。どんな形であれ、彼女が少しでも楽しいと、幸せだと思う選択肢をとってほしいと思っていたから。結局、僕は彼女を送っていって、彼女の部屋の前で最後のハグをした。彼女は泣いていた。

 

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