死にたさと呆れ

メンヘラアスペ大学院生がゴミを書き捨てるところ

昔の話1

日記と備忘に。鬱になった経緯とその時考えていたこと。高校生のころ、恋人ができた話。

 

高校一年のころに恋人ができた。とはいえ単純に好きになったからかというと少し厄介な話で、僕のお人好しが多少行き過ぎた結果である。

彼女は少し厭世的で、男性嫌悪があって、常に人を、正確には下だと判断した人を小馬鹿にする癖があった。なんとなく似ているところを感じたのが仲良くなったきっかけだったかもしれず、僕も他人とうまくやるのが苦手で、男が苦手で、頭の悪い人が苦手だった。

影のあるところを見てしまうと、その理由を知りたくなる。そして、可能ならそれを解決したくなる。今でも変わらず、その時の僕はお人好しだった。

よく夜中に通話をして、色々な話をした。僕の興味の中心は、なぜ彼女がそうなったか、であった。核心を聞き出すのは容易ではなかったし、急いで聞くべきことでもなかった。彼女はその当時僕が知っていた人の中では頭が良かった。頭が良い人と話すのは楽しいものだった。歴史が好きなこと。昔Skypeでおっさんを釣っていた話。某有名コスプレイヤーSkype仲間だった話。読む本の話。小説を読んでラノベを読まない話。オタクの友達しかできない話。

2、3ヶ月ぐらいそんな話ばかりしていただろうか。彼女は家族の話をあまりしたがらないことに気付いた。特に歳の離れた姉の話だった。それはただの部活仲間に話すことではなかったんだろう。僕はそれを聞き出すためにとある決断をした。

僕は彼女の過去の話を聞き出すためだけに、あなたのことが好きだから話してほしいと言った(本当はもう少し回りくどい言い方をしたが恥ずかしいので伏せる)。その時点で、過去に彼女に浅くない傷を残した出来事があったことは察していたし、それを聞いてしまったら彼女を放置できないことはわかっていた。自分なりに彼女の過去を背負う覚悟を持って、彼女の隠したいことを知ってしまう責任を全うするつもりだった。果たせるかな、彼女は泣きながらだったか、怒りながらだったか、過去にあったことを話してくれた。端的にまとめれば、姉が結婚せずに産んだ上に実家に預けられた赤ん坊の世話を、中学生だった彼女がさせられていたという話だった。それだけでも負担だったろうに、おそらく家族の体面を気にして誰にも相談せずに、ずっと育てていたのだと、その怒りとやるせなさが今の彼女を作っているのだと、理解した。

僕は彼女のことが好きだと言ってしまっていた。本当か嘘か、難しいところだった。ただ、彼女の救いになれればいいと、自分より恵まれていない彼女が少しでも幸せになれるようにと、それだけは譲らないことを決意した。それは結局彼女のためではなく、自分の誠意のない行いを自分で認められるようにするための自衛策であった。そして、その時の不安定な彼女に、そのことを悟られないようにするためだけに、僕は彼女のことをずっと、掛け値なく永遠に、大切にすると決めていた。誠意のない告白の返事がどうだったかは覚えていない。どうにせよ、それからほどなくして、僕たちは恋人になった。

彼女は多少依存する方で、気持ちが不安定なことが多かった。予定のない休日は大抵一日中通話していた。学校帰りには、終バスの9時まで、駅で過ごしたり、ゲーセンに寄ったり、できるだけ長く一緒にいた。カラオケに行くことも多かった。音楽の趣味は、少なくとも重なる部分があった。カラオケに行ったら、照明を付けずに歌って、抱き合って、キスをして、時には暗い話をするのがお決まりだった。過去の話を聞いて、また抱き合った。この子は人の温もりを求めているんだなと、理解した。

僕は何を感じていただろうか。少なくとも、心穏やかではなかった。彼女の救いになるにはどうすればいいか、常に考えていた。求められるままに抱きしめて、キスをして、愛してると言った。決して嫌だったわけではないが、自分の意思とは関係なく、求められるままに愛を与えるのは、場合によっては僕の中にひずみを生んでいた。それでも、彼女の求めることを与えることが、彼女の救いになることが、僕が愛していると言う前から決めていたことだったから、ずっとずっと、花に水を与えるように、愛を与えていた。花と違って、水をやりすぎても枯れることはなかった。

彼女を愛して、大切にすることは僕の義務だったし、実際そうできるようずっと努力していたつもりだった。一人の時間はあまりなくなった。他の友達と遊ぶ時間もほとんど作らなくなった。強制されたわけではないけど、彼女以外のために時間を使うと、彼女の顔が曇るのが耐えられなかったのだ。結局、自分の中の罪悪感と戦っていただけだった。その状況でうまくやっていく方法は、全てを彼女のために振り向けて、彼女が僕にしたように、僕も彼女に溺れていくことだった。もういつだったかは思い出せないけど、初めて彼女の家に上がって、二人でたわいもない遊びをして、僕も彼女のことが本当に好きで、大切に出来るようになったことを実感した。彼女の家で、やはり暗い話をした。彼女が自分のことを認められなくて、自分がいない方がいいと思っていることを理解した。慰めようとして、ベッドの上で抱きしめた。そのまま、悲しみを快感で塗り潰せるように、初めて彼女を抱いた。

僕から見たら、最初から関係はいびつだった。僕は彼女を最初から好きだったわけではないし、かつ、僕が彼女を好きでいることは、少なくともそう見えるようにすることは、僕の義務だった。逆から見た像は、どうだったんだろうか? 僕は、ちゃんと愛を与えられていただろうか? 救いになれていたんだろうか? そんなことばかり気になって、ずっと不安は頭から離れなかった。そして、ずっと気ままに生きてきた僕にとって、彼女の求める愛の量は、少し過大だった。だんだん通話を繋ぐまでに迷う時間が増えた。ご飯まで「愛してる」と言い続けるのに虚しさを感じるようになった。他の人と話したくなって、彼女以外と遊びたくなって、自分を一番に考えていないと、彼女に謗られることが増えた。可愛い我儘だと片付けられないくらい、僕は追い詰められていった。何も考えずに済むように、自分の首の血管を手で絞めることが増えた。額を机に打ちつけて、痛みで辛さを上書きするようになった。指を噛んで、気管を潰して、自分を罰しているのか、怒りを誤魔化しているのか、わからなくなっていった。ある夜、通話を続けることに耐えきれなくなって、携帯を壊して、彼女の声を、誹りを聞かなくて済むようにしたとき、彼女を好きでいられているのか、よくわからなくなってしまった。数日気持ちが整理できずに彼女と会わなかった。結局会って謝ったけど、追い詰められたのはあなたのせいだと、直接的には言わなかったけど、思っているのは伝わってしまっただろうな。彼女の救いになりたいと思っていたことはもうわからなくなって、ただ愛しなければいけないという目的だけが僕にのしかかっていた。

結局、この歪みは大きくなるだけだと、このまま関係を続けていけないと察して、話せることを話し合った。愛を求められると無尽蔵に与える節があると。自分の時間を確保できないことは辛いと。僕の話も話すようにすると。この頃までには彼女の精神は大分安定していたような記憶がある。恋人になってからおおむね一年くらい。少しだけ健全で、少しだけ歪みがなくて、少しだけ安心できる関係に変わった。それでも一年間続けてきた関係をすぐにガラリと変えることは難しかった。前より少し辛くない気持ちで、彼女と付き合っていけた。

比較的穏やかに、それからの一年は過ぎた。相変わらずカラオケに行って、キスして、セックスして。寝る前にはずっと通話を繋いで眠りに落ちる。彼女が僕の愛を求めるのは変わらなかった。ただ、僕はすこし穏やかにそれを受け入れることができた。両親に彼女のことを話したのもこれくらいの時だっただろうか。素直に、彼女が好きだと言えるようになったし、彼女がこのまま僕のことを好きでいてくれるなら、結婚してもいいと思っていて。幸せで、自分の不誠実さと汚さに不釣り合いな生活だった。

高校3年の夏ごろ、進路の話が現実味を帯びてくる頃。僕も彼女も、頭は悪い方ではなかったので、某旧帝大に一緒に行くことを決めた。一緒に勉強したりもしたけど、二人でいるとキスやらハグやら求め合うから、一人で黙々とやる方がはかどった。お互い第一志望に収まった。これからも一緒にいられることを喜んで、本当に幸せな結果だった。僕たちは二人とも一人暮らしすることになったから、一緒にいられる時間がずっと増えることを喜んで、大学に進学した。

 

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